東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

スコットランドの旅(イギリス)

18. ハドリアヌスの長城(あるいは城壁)

ハドリアヌスの長城はスコットランドとイングランドの国境

一昨日はスコティッシュ・イブニングで楽しみ、昨夜はミリタリー・タトゥーを楽しみ、スコットランドの首都エディンバラで2泊してとっても楽しく過ごすことができた。決して十分とはいえないけど。ともかく朝のうちにエディンバラを出発し、長く旅をしてきたスコットランドを今日で出ることになっている。

そして今日の最初の目的地はハドリアヌスの長城(あるいは城壁)。古代ローマ帝国時代に建設された長城(城壁)なんだけど、その後もずっと影響を残し続け、今もスコットランドとイングランドの国境線はこのハドリアヌスの長城(城壁)に影響されているらしい。

というわけで、スコットランドに別れを告げてイングランドに向かって車を走らせる私たちは、このハドリアヌスの長城(城壁)あたりを通過することになるわけだ。

車でハドリアヌスの長城(城壁)

ちょいと細かく書くならば、北からA68号線を南下し、A69号線と交差する前に、B6318号線を右折して西に向かって走る。このあたりでは B6318号線に沿って、ハドリアヌスの城壁や砦の良好な遺跡がとっても多く残されているんだ。遺跡の道路標識などもわかりやすく設置されているから、上の道を走るだけでハドリアヌスの長城(城壁)関係の遺跡を見て回ることができる。

ハドリアヌスの長城(城壁)と砦跡を歩いた

やがて到着したハドリアヌスの長城。その長城とそれを守る砦の跡の様子が下の画像だ。

イングランドとスコットランドの国境近くに残るハドリアヌスの長城と砦跡(イギリス)

このハドリアヌスの長城(城壁)は、グレート・ブリテン島の東岸から西岸まで約 120kmの長さにわたって築かれたらしい。しかも、その長城(城壁)には、約 20カ所の砦と約 60カ所の監視所も設けられていたんだそうな。上の画像にあるのは、そんな長城(城壁)を守る砦の一つというわけだね。各々の砦には、数百人以上の兵士たちが駐屯していたんだそうな。

古代ローマ帝国皇帝ハドリアヌスと長城(城壁)

イタリアのローマを発してガリア(フランス)に侵入し、ルテティア(今のパリ)も征服した古代ローマ帝国は、更に英仏海峡も渡ってケルト人の住むブリテン島(イギリス)までやって来た。

西暦43年にロンドンを建設した古代ローマ帝国の軍団は、更に進んでブリタニア北部(後のスコットランド)にまで進もうとしたものの、その地に住むピクト人の抵抗を打ち破ることができず、時には敗北を喫することさえあった。

そして西暦117年に古代ローマ帝国皇帝となったハドリアヌスは帝国各地を自分の眼で見て回ったそうな。その皇帝ハドリアヌスがブリテン島に来た際に、古代ローマ帝国の北限に建設を命じたのが、このハドリアヌスの長城(城壁)だった。

ハドリアヌスの長城(城壁)の高さは 6m。その北側は堀で守られていたらしい。その建設は西暦122年に始められ、完成までは10年ほどもかかったんだそうな。

ついでながら、このハドリアヌスの長城(城壁)を建設させた古代ローマ帝国皇帝ハドリアヌスは、建設工事が好きだった(得意だった)みたい。この長城だけではなく、イタリアのローマパンテオンサンタンジェロ城なども残しているよ。

ハドリアヌスの長城(城壁)が彼方まで ・・・

さて、砦跡からハドリアヌスの長城(城壁)を少しだけ歩いてみるかな。もちろん、全長 120km もある長城をずっとあるくわけにはいかないけどね。

イングランドとスコットランドの国境近くに残るハドリアヌスの長城あるいは城壁(イギリス)

おだやかな丘がゆるやかな傾斜を作っているんだけど、そんなのどかな土地にハドリアヌスの長城(城壁)が続いている。でも、かつて古代ローマ帝国の時代には、このあたりが戦いの前線だったんだよね。

アントニヌスの長城(城壁)と古代ローマ帝国の撤退

ハドリアヌスの長城(城壁)を築いてブリテン島の北の守りを固めた古代ローマ帝国。その20年ほど後の西暦142年には、更に北にアントニヌスの長城(城壁)をも築いたんだそうな。但し、この長城はハドリアヌスの長城(城壁)に比べれば、規模などにおいて見劣りするらしいけど。

ところが、古代ローマ帝国の力は後退し始めた。建設からほんの20年ほどの西暦164年には、アントニヌスの長城(城壁)は見捨てられ、帝国の兵士たちはハドリアヌスの長城(城壁)まで後退したらしい。

でも、それが後退の終わりじゃなかった。このハドリアヌスの長城(城壁)の北側に住んでいたピクト人たちは南側の古代ローマ帝国の領域に大攻勢をかけたこともあるんだそうな。その際に彼らはロンドンまで略奪したらしい。そして5世紀の初頭には、古代ローマ帝国はブリテン島(イギリス)を放棄し、兵士たちを本国であるイタリアに呼び戻した。でも、西ローマ帝国の崩壊を食い止めることはできなかったけど。

ハドリアヌスの長城(城壁)は世界遺産

このハドリアヌスの長城(城壁)は、西暦1987年に世界遺産に登録されたそうな。が、西暦2005年には、ドイツにあるリーメスラインと統合されて、古代ローマ帝国の国境線として世界遺産登録が変更されたらしい。更に西暦2008年には、世界遺産としての古代ローマ帝国の国境線に、アントニヌスの長城(城壁)も含まれることになったんだそうな。古代ローマ帝国は後退したけれども、世界遺産としての帝国は拡大しているわけだね。


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