東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

ローマ と ポンペイ (イタリア)
1997 年 3 月

15. ポンペイの街角にて

西暦79年8月

夏の太陽に照らされ、南イタリアの大地はカラカラに乾燥していた。突如として大地を轟音が揺るがす。驚く人々の目に映ったのは怒り狂う火の山ヴェスヴィオ。街を襲うのは熱風と火山灰と溶岩のかけら。人口2万人の古代ローマの街ポンペイは、火山灰の下に埋もれた。西暦79年8月24日。

それから1630年の歳月が流れ、西暦1709年のこと。井戸を掘っていた男が大理石の柱を見つけた。人々はその周囲を掘りかえし、古代の彫刻を取り出した。しかし、まだポンペイは目覚めなかった。

西暦1748年、当時のナポリを支配していたブルボン家の王カルロス3世は、付近の発掘を命じた。これが、火山灰のタイム・カプセルに閉じ込められていた古代の街ポンペイが目覚める時となった。

という風に歴史の本ならば書くところなんだろうなあ。でも、タイム・カプセルおかげと言っちゃなんだけど、さすがにポンペイ。当時の人々の暮らしをしのばせるものがたくさん残っているねえ。

横断歩道

横断歩道 例えば右の画像。石畳の道に置いてある石は横断歩道なんだって。

道を進む馬車の車輪は、横断歩道の石と石の間を行く。歩行者が横断するときは、石の上を渡るというわけだ。

古代ローマといえば、パンテオン凱旋門コロッセオが頭に浮かぶよね。でも、2000年前の横断歩道って、もっとスゴイ !!

水飲み場

水飲み場 右の画像は、道端で見かけた水飲み場。もちろん、蛇口は後世のものだけどね。

水道橋も古代ローマを代表する遺跡。だけど、考えてみれば水道橋で運んだ水を利用することが目的なんだよね。水飲み場が無くちゃおかしいわけだ。

ついでだけど、古代ローマの水道橋に興味のある方、スペインのセゴビアに残る水道橋の画像を見るには、ココをクリック

水道管

水道管 水を利用するために、ポンペイでは水道管も使われていた。それが右の画像。

だけど、この水道管は鉛で出来ていたんだ。だから、ポンペイの市民には鉛の中毒に苦しむ人が多かったらしい。

ひょっとすると最古の公害と言えるのかな。

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