キャンティのワイン村を目指そう旅の4日目。イタリアの街道の街ボローニャを拠点に西ローマ帝国の古都ラヴェンナや小さな独立国サン・マリノ共和国を見て回ったんだけど、今日はトスカナ地方に移動する。トスカナ地方ではあちこち移動していくんだけど、まず最初はキャンティのワイン村を目指すことになっている。旅も半ばにさしかかったということもあり、イタリアを代表するキャンティのワインを生み出すブドウ畑の中の宿でしばしのんびりしようというわけだ。
そのキャンティのワインを生み出す地域なんだけど、トスカナ地方の中央部にある。今日から私たちが滞在する宿は、キャンティのワインの中でも主役ともいうべきキャンティ・クラシコを生産する地域の村にある。上の略図の中ではシエナとフィレンツェの間に位置しているらしいよ。
まずは列車でボローニャからフィレンツェ今日はもし早く起きだしたならばまずはフェラーラへ行き、それからキャンティのワイン村へ向かうというアイデアもあった。でも、私が目覚めたのが8時。その時点で家内はまだ爆睡中だった。ちょいと旅の疲れも出てきたかな。というわけで、フェラーラは諦めた。今日はのんびりと移動する。頑張り過ぎて疲れ果ててしまっては、旅の後半でバテてしまうからね。ホテルをチェック・アウトしたのは11時。すぐ目の前にあるボローニャ中央駅から列車に乗り込む。ローマ行きの ES という列車だった。11時48分発の予定だったけど、定刻から遅れて発車したのは12時25分。一昨日の列車事故の影響がまだ残っているのかな。 ボローニャ中央駅を出発した ES は、やがて山の中を走り始める。この山々がボローニャの属するエミリア・ロマーニャ州とフィレンツェやシエナの属するトスカナ州を隔てているわけだ。いくつかのトンネルを通過し、やがて列車は平地を走り始めた。ここはもうトスカナ州かな。(列車の車窓から眺めた風景が下の画像。)
私たちの列車は直線に近い線路を猛スピードで走り続けている。でも、かつてフィレンツェとボローニャとの間を結んでいた昔の線路は、山の間をくねくねとゆっくり登って行ったらしい。数十年以上も昔にフィレンツェからボローニャに向かって鉄道で旅をした和辻哲郎の旅行記には、「山をぐるぐるのぼって行く。」という表現があるらしいよ。
イタリアの列車についてここでちょいと余計な話になるんだけど、イタリアの鉄道を走る列車の種類について書いておくかな。
フィレンツェからシエナ、そしてキャンティのワイン村へ私たちを乗せた列車がフィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ駅に到着したのは13時20分のこと。ボローニャ中央駅からは1時間足らずだったね。でも、出発が遅れたせいで到着も遅れている。他方で、私たちが乗る予定のシエナ行きの列車は13時25分発だ。乗り換えの時間は 5分を切っている。というわけで、スーツ・ケースをひきずって走った、走った。到着した9番ホームから、1番ホームに停車中のシエナ行きの列車まで。予定ではここで30分ほど待ち時間があるはずだったのに ・・・。ここでカプチーノの1杯でも飲むはずだったのに ・・・。 なんとか滑り込んだシエナ行きのローカル列車は、定刻どおりに13時25分に出発。フィレンツェまで乗って来た ES の乗客は外国人観光客とビジネスマンばかりだったけど、このローカル列車の乗客は地元の人々ばかりみたいだね。 車内を見渡せば、奇声を発している若者たちのグループ、駅の売店で買ったピザにかぶりついているおばさん二人組、静かに本を読んでいる少女、そして連日の飲み過ぎ食べ過ぎの為に漢方胃腸薬を服んでいる日本人のおじさん(私のことだけどね)。余談ながら、この旅を終えてロンドンに戻った私は胃潰瘍と診断されたんだ。薬で治る程度のものだったけどね。 フィレンツェを出たローカル列車は、やがてエンポリ駅で停車。ここで線路は左右に分かれる。右へ行けば斜塔で名高いピサ、左に行けば私たちが向かうシエナだね。
エンポリ駅を出てシエナに向かう私たちの列車の周囲には、トスカナの田園風景が広がっている。遠くの丘の上には中世のお城(上の画像)もあったよ。かつてはいくつもの都市国家が互いに戦いを続けていた中世のトスカナ地方では、多くの城が築かれたんだそうな。
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