東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「春のポルトガル」

リスボン、シントラ、オビドス、ナザレなど

15. バターリャ修道院 -1. 修道院とジョアン1世

バターリャ修道院とポルトガル王ジョアン1世

美しく広い砂浜を持つナザレの街からバスに乗り込み、到着したのはバターリャ修道院(あるいは勝利の聖母マリア修道院)だった。

バターリャ修道院(勝利の聖母マリア修道院)とジョアン1世騎馬像(ポルトガル)

上の画像がそのバターリャ修道院の眺めなんだけど、画像の右手に見えているのが14世紀のポルトガル王ジョアン1世なんだ。

カスティーリャ王国と戦ったポルトガル王ジョアン1世

やがて王国となるポルトガルがカスティーリャ王国から独立したのは、西暦1128年のことだった。そのポルトガル王国の初代の王アフォンソ1世は西暦1139年に即位し、西暦1147年には後に首都となるリスボンを征服し、続いて王宮で名高いシントラ中世の城壁に囲まれたオビドスなどを占領している。そして西暦1143年にはカスティーリャ王が、更に西暦1179年にはローマ教皇がポルトガル王国の主権を承認したわけだ。

それから200年ほどが経った西暦1383年、ポルトガル王フェルナンド1世が亡くなった。嫡出の男子を残さなかった為、王女ベアトリスがポルトガル王位を継承することとなった。ところが、王女はカスティーリャ王フアン1世と結婚していた。ポルトガルがカスティーリャに支配されることを嫌った人々は、王女ベアトリスの即位に反発したらしい。

ポルトガルの中小貴族や民衆の支持を集めたのは、王女ベアトリスの叔父にしてアヴィス騎士団長だったジョアンだった。そのアヴィス騎士団長が西暦1385年にポルトガル王ジョアン1世として即位した。初代アヴィス朝ポルトガル王ジョアン1世は、同盟国イギリスの支援を得て、カスティーリャ王フアン1世をアルジュバロッタの戦いで破り、ポルトガル王国の独立と王位を確保したんだそうな。

バターリャ修道院(勝利の聖母マリア修道院)の前に立つジョアン1世騎馬像(ポルトガル)

その戦いでの勝利を聖母マリアに感謝する為にポルトガル王ジョアン1世が建立したのが、このバターリャ修道院(正しくは勝利の聖母マリア修道院)だった。ちなみに、「バターリャ」という言葉は、「戦い」を意味するんだそうな。(上の画像はバターリャ修道院の前に立つポルトガル王ジョアン1世の騎馬像を見上げた様子。)

ポルトガルのゴシックを代表するバターリャ修道院

戦勝を感謝するポルトガル王ジョアン1世によってバターリャ修道院が建立されたのは西暦1388年のことだった。16世紀の前半にはバターリャ修道院の大部分が完成している。

バターリャ修道院(勝利の聖母マリア修道院)の正面ファサードを見上げた(ポルトガル)

但し、実はまだ未完の部分が残っているんだ。詳しくは後のページで書くけど。それでも、バターリャ修道院はポルトガルのゴシックを代表する建物なんだそうな。(上の画像はバターリャ修道院の正面ファサードを見上げた様子。)

ポルトガル王ジョアン1世の子孫たちと大航海時代

勝利を得たポルトガル王ジョアン1世は、西暦1411年にはカスティーリャ王国との和約を結んでいる。その結果、後顧の憂いを取り払うこととなり、ポルトガル王国はいよいよ大航海時代へと漕ぎ出すことになる。

バターリャ修道院(勝利の聖母マリア修道院)の塔(ポルトガル)

ジョアン1世の孫のポルトガル王アフォンソ5世の摂政となったコインブラ公ペドロは大西洋探検に支出することを決定し、その責任者となったのがエンリケ航海王子だった。そのエンリケ航海王子もコインブラ公ペドロもジョアン1世の息子たちなんだ。つまりは、ジョアン1世の子孫たちによって大航海時代のポルトガルの最盛期がもたらされたということなんだろうね。

ついでながら、ジョアン1世の王女のイザベルは、フランス東部ブルゴーニュ地方を支配していたブルゴーニュ公フィリップ善良公に嫁いでいる。その二人から生まれたブルゴーニュ公シャルル突進公は戦死し、ブルゴーニュ公家は断絶。ところが、シャルル突進公の娘のマリー・ド・ブルゴーニュはハプスブルク家に嫁ぎ、その孫がスペイン王カルロス1世(ハプスブルク家の皇帝カール5世)となる。その息子のスペイン王フェリペ2世は後にポルトガル王をも兼ねることになる。ヨーロッパの王室相互のつながりは近いというか複雑というか ・・・ 。


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