東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

パリに住んだ ・・・ つもりの 9日間 (フランス)

パリからロワール、ノルマンディー、シャルトルまで

27. クリュニー中世美術館 (パリ)

クリュニー中世美術館(パリ市内)に到着

パリ郊外にあるサン・ドニ大聖堂を見終え、地下鉄に乗ってパリ市内に戻って来た。乗り換えること2回、パリ中心部のシテ島のすぐ南にあるサンミシェル駅で電車を降りる。近くのカフェでランチを済ませ、やって来たのはクリュニー中世美術館(下の画像)だ。

フランスの首都パリにあるクリュニー中世美術館の建物外観

このクリュニー中世美術館の中では、中世の様々な美術品を見ることができる。それは当然のことなんだけど、この建物や敷地自体も興味深いものなんだそうな。

古代ローマ帝国の浴場跡に建てられたクリュニー中世美術館

今のクリュニー中世美術館のある場所は、かつてローマからガリア(フランス)に進出し、古代の街ルテティア(今のパリ)を征服した古代ローマ帝国時代の浴場だった。当時の浴室の建物の一部が美術館の庭で見ることも出来るし、美術館の建物の中にも古代ローマ帝国時代の遺構(下の画像)が取り込まれているらしい。

フランスの首都パリにあるクリュニー中世美術館の建物内部

そんなクリュニー中世美術館の建物は、元々はクリュニー修道会の修道院長の住居として西暦1334年に建てられたものだった。その後、15世紀末に建て替えられたらしい。いずれにせよ、パリに現存する最も古い建物の一つなんだそうな。

そんな歴史ある建物だからして、興味深い人物がここに住んだこともある。例えば、西暦1515年にフランス王ルイ12世ロワール川のほとりのブロワ城に住んでいた)が亡くなったんだけど、次のフランス王フランソワ1世は先王の王妃メアリー・テューダー(イングランド王ヘンリー7世の王女でヘンリー8世の妹)をここに住まわせている。

17世紀には、あの太陽王ルイ14世が子供の頃にフランスの政治を取り仕切ったマザラン枢機卿がこのクリュニー中世美術館の建物に住んだこともあるらしい。

中世のタペストリー「貴婦人と一角獣」の「視覚」

クリュニー中世美術館では、ステンド・グラスや彫刻など中世の様々な美術品を見ることができる。例えば、3世紀にモンマルトルで処刑され、自分の首を持ってサン・ドニ大聖堂の場所まで歩き、フランスの守護聖人となったサン・ドニ(聖ドニ)の像とかね。

でも、クリュニー中世美術館で必見のお宝の筆頭は、何と言ってもタペストリー「貴婦人と一角獣」だよね。この6枚で構成されたタペストリーの中の「視覚」と呼ばれる作品が、下の画像なんだ。

フランスの首都パリにあるクリュニー中世美術館で見たタペストリー「貴婦人と一角獣」の「視覚」

上の画像の中で、貴婦人の膝の上に前足を置いた一角獣がいるよね。その一角獣は、貴婦人の右手に持たれた鏡に映った自分の姿を見ている。つまり、「視覚」を描いているわけだ。

とっても見難い画像で申し訳ないけど、なんせこのタペストリーが展示されていた部屋が暗かったものだから。この一連のタペストリーは、15世紀末頃にフランドルで織られたと推測されている。そんな古い織物に明るいライトを当てるわけにはいかんものね。もちろん、撮影の際のフラッシュも厳禁だった。

ちなみに、このタペストリー「貴婦人と一角獣」は、西暦1841年にフランスの古城で発見されたらしい。そして西暦1882年にこのクリュニー中世美術館に移されたんだそうな。

中世のタペストリー「貴婦人と一角獣」の「味覚」

続いて下の画像は、「味覚」と題されたタペストリー。侍女が持つ皿の中のキャンディを貴婦人が取ろうとしているらしい。その貴婦人の足許に座り込んだ猿がキャンディを食べているらしいんだけど、下の画像ではちょいと見えないよね。

フランスの首都パリにあるクリュニー中世美術館で見たタペストリー「貴婦人と一角獣」の「味覚」

というわけで、上に「視覚」と「味覚」の画像をお見せしたんだけど、「貴婦人と一角獣」のタペストリー6作のうちの5作は人間の五感を描いたものなんだ。そして問題は残る1作。「欲望」と考える人もいるし、「理解」と言う人もいる。解釈がまとまっていないらしい。

ところで、このタペストリー「貴婦人と一角獣」の背景には、小さな花や小動物たちが無数に描かれている。これを千花模様(せんかもよう)あるいはミル・フルールと呼ぶらしい。この「貴婦人と一角獣」は、千花模様(ミル・フルール)の典型的なものなんだそうな。

ユダヤ人の財宝

フランス東部アルザス地方にある街コルマールで、西暦1863年に発見された財宝がある。とっても古い家の壁の中から発見されたもので、金銀宝石や銀の食器、そしてユダヤ人独特の指輪なども含まれている。

西暦1347年にフランス南部プロヴァンス地方港町マルセイユペスト(黒死病)が上陸し、それがヨーロッパのあちこちに広がっていった。恐怖に陥った民衆の中には、ユダヤ人がまいた毒がペストの原因だと信じる人々もいた。その結果、あちこちでユダヤ人の虐殺が起きたらしい。

アルザス地方においてもペストの恐怖からユダヤ人の虐殺が起こったんだそうな。上に書いたコルマールの財宝は、そんな状況にあったユダヤ人が隠したものと考えられている。そんなコルマールの財宝も、このクリュニー中世美術館にあるらしい。それを知ったのが後のことで、この美術館を歩いた時には気がつかなかったんだけど。


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