東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

スコットランドの旅(イギリス)

15. エディンバラ城

スコットランド・ポンドとエディンバラ城

イギリスのお金といえばスターリング・ポンドだよね。そのスターリング・ポンド紙幣を発券するのは、イギリスの首都ロンドンにある世界の金融の中心シティにあるイングランド銀行だ。

でも、イングランドとは別の国であるスコットランドでは、スコットランドの銀行によって発券されるポンドもあるんだ。例えば、下の画像にあるロイヤル・バンク・オブ・スコットランドによって発券された 1ポンド紙幣。

スコットランド・ポンド紙幣に印刷してあるエディンバラ城(イギリス)

上の画像の 1ポンド紙幣に描かれているのは、スコットランドのエディンバラ城だね。今日の観光は、そのエディンバラ城からスタートするんだ。(昨夜はスコティッシュ・イブニングでハギスやバグパイプやダンスで楽しませてもらった。)

エディンバラという地名

エディンバラ城に登る前に、エディンバラという地名について。その起源には二つの説があるんだそうな。

  • 6世紀末に記録に表れた「ディン・エイディン」という地名がやがて「エディンバラ」になったという説。
  • 7世紀初頭にスコットランド南東部に侵攻したノ−ザンブリア王エドウィンの名前からきた「エドウィンの街(あるいは城)」からエディンバラとなったという説。
いずれにせよ、紀元前には人間がここに住んでいた跡が発見されているらしいよ。

ついでながら、このエディンバラまで攻め込んできたエドウィン王の根拠地は、イングランド北部の要衝ヨークにあった。その街のヨーク・ミンスター(大聖堂)の起源となった教会は、エドウィン王の洗礼の為に建てられたんだそうな。

もう一つついでながら、このノーサンブリア王エドウィンは、西暦633年にウェールズのグウィネズ王国とアングロ・サクソンのマーシア王国との連合軍に敗れて戦死し、ヨークは略奪を受けたらしい。古代ローマ帝国がブリタニア(イギリス)から撤退した後の、アングロ・サクソン人やケルト人の小王国が入り乱れて戦いを交えていた時代のことだね。

プリンセス・ストリートから見上げたエディンバラ城

まずはエディンバラ市内にあるプリンセス・ストリートを歩きながら、見上げたエディンバラ城の様子が下の画像。エディンバラ城のある大きな岩山は、キャッスル・ロックと呼ばれているらしい。

プリンセス・ストリートから見上げたエディンバラ城(スコットランド、イギリス)

かつてのエディンバラ城には、防衛のためにお堀があったんだそうな。イングランドとの激しい戦いが続いていた15世紀には、そのお堀が拡張されたりしたらしい。でも、やがて戦いは遠ざかり、エディンバラ城のお堀の水も抜かれ、そのお堀のあとが道になった。それが今のプリンセス・ストリートなんだそうな。

ちなみに、西暦1872年にイギリスを訪れた日本の岩倉使節団はスコットランドにも足を伸ばし、エディンバラにも滞在している。彼らもこのお城を見上げたことだろうね。

エディンバラ城に観光客があふれていたぞ

やがてエディンバラ城の駐車場に到着。かなり広い駐車場なんだけど、そこには大きな観光バスがたくさん並んでいたよ。昨日はエディンバラ市内で駐車場を捜すのに苦労したけれども、夏のエディンバラには多くの観光客が集まるからね。(下の画像は、その駐車場から見上げたエディンバラ城の様子。)

駐車場から見上げたエディンバラ城(スコットランド、イギリス)

エディンバラに多くの観光客を集める中心となっているのが、このエディンバラ城で行われるミリタリー・タトゥー。もちろん私たちも見るよ。夜になったら再びこのエディンバラ城に来て、ミリタリー・タトゥーを楽しむ予定になっているんだ。

ついでに補足だよ。夏のエディンバラには多くの観光客が来るんだけど、おかげで私たちもホテルの部屋を予約するのに苦労したんだ。2ヶ月前にはホテルを手配したんだけどね。幸いにエディンバラ市内にホテルの部屋を確保できた。運に恵まれなかった人の中には、エディンバラ市内に宿を取れず、近郊の街のホテルの部屋しか取れなかった人もいたね。夏のエディンバラを旅行するならば、とにかく手配を早くしなきゃね。

エディンバラ城には今も軍隊がいる

エディンバラ城の衛兵(スコットランド、イギリス) お城とは言っても、軍事施設だったのは昔のことで、今は観光施設になっている ・・・ というのは普通の話だよね。でも、このエディンバラ城に関しては、今も軍隊が駐留しているらしい。

但し、その部隊の任務は、主にセレモニーであり、加えてスコットランド王国の王冠などを守ることなんだそうな。

そんな目的だろうと何だろうと軍隊は軍隊だから、右の画像のような衛兵も警護に立っているんだそうな。

とっても長い歴史を持つエディンバラ城なんだけど、その建物の最も古い部分が12世紀に遡る聖マーガレット教会なんだそうな。エディンバラ城を守る軍隊の兵士たちは、その聖マーガレット教会で結婚式を挙げることが許されているらしいよ。

そうそう、大事なことがあった。このエディンバラ城に駐屯している兵士たちが守っているものの中には、スコットランド王の戴冠に関わる運命の石(スクーン・ストーン)もある。この石は元々はスクーン・パレスにあったんだけど、西暦1296年にスコットランドに侵入したイングランド王エドワード1世によって持ち去られ、西暦1996年までロンドンのウェストミンスター寺院に置かれていたんだそうな。それがスコットランドに返還されて、今はエディンバラ城に置かれているというわけだ。

エディンバラ城内にある聖マーガレット教会って ・・・

エディンバラ城内には、12世紀に建設が始められたという聖マーガレット教会がある。その聖マーガレットという人物なんだけど、そもそもはアングロ・サクソン系のイングランド王家のお姫様だったらしい。

が、征服王ウィリアム1世によるノルマン・コンクエストの際に船でイングランドを脱出したんだそうな。その船が難破してスコットランドに上陸し、スコットランド王マルカム3世の妃になったんだそうな。

ちなみに、その結婚相手のスコットランド王マルカム3世(あるいはマルカム・カンモー)なんだけど、実はシェイクスピアの物語で有名なマクベスとその跡継ぎのルーラハを殺してスコットランド王になったという人物。

ついでながら、そのマクベスが殺したスコットランド王ダンカン(1世)は聖マーガレットのご主人のマルカム3世のお父さんなんだから話はややこしい。(更に余談だけど、マクベスがダンカンを殺した舞台のモデルがインヴァネス近くのコーダー城で、マクベスがスコットランド王に即位したのはスクーン・パレスだったらしい。)

話がそれているね。元に戻して、聖マーガレットなんだけど、スコットランド王マルカム3世と結婚した後、スコットランドにおけるキリスト教をイタリアのローマに中心と持つカトリックに忠実なものに変えていったんだそうな。それまでのスコットランドのキリスト教の信仰は、聖コロンバの伝統に従ったアイルランド的なものだったらしい。そんなわけで、西暦1250年にマーガレットはローマ・カトリックから聖人とされたんだそうな。

そんな聖マーガレットの為の教会をエディンバラ城に建てたのは、聖マーガレットとマルカム3世の息子のスコットランド王デヴィッド1世だった。それが12世紀ということなんだ。


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