東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅
春のルーマニア
東欧(1998年5月)


26. ルーマニア正教の総本山 ブカレスト大聖堂

かつて「バルカンのパリ」と呼ばれたこともあるブカレスト。ルーマニア語での正しい名前は、「ブクレシュティ」(意味は「喜びの街」)というらしい。現在のルーマニアの首都であり、220万人の人々が住む都会だ。

ブカレストとヴラッド・ツェペシュ(串刺し公)

このブカレストの街も、ドラキュラのモデルとなったヴラッド・ツェペシュ(串刺し公)のゆかりの場所なんだ。

1456年に二度目のワラキア公となったヴラッド・ツェペシュは、軍事力の強化のためにワラキア経済の育成・強化を目指した。

その為にワラキア商人を保護し、このブカレスト(当時はドンボヴィツァ)の街を自治都市としたんだ。(その結果、トランシルヴァニアに住むドイツ系商人と対立し、ブラショフの人々を串刺しにしたりしたんだけどね。)

他方、現在のブルガリアとルーマニアの国境となっているドナウ川を越えて侵入してくるオスマン・トルコ軍を迎撃するために、ブカレスト付近に要塞を築いたのも、ヴラッド・ツェペシュだったらしいよ。

ルーマニア正教の総本山 ブカレスト大聖堂

ワラキア公国の元来の首都はコルテア・デ・アルジェシュだったんだ。しかし、1659年には、オスマン・トルコ支配下のワラキア公国の首都はブカレストに移された。そして、1668年には、ワラキアの主教座もブカレストに移され、ブカレストは政治的にも宗教的にもワラキアの中心地となったわけだ。

ルーマニア正教の総本山 ブカレスト大聖堂(ルーマニア) その後、1861年には統一ルーマニア公国が成立し、1865年にはルーマニア正教がコンスタンティノープルの総主教の支配下から独立した。

その後、1881年に成立したルーマニア王国から現在に至るまで、ブカレスト大聖堂あるいはブカレスト総主教座教会(右の画像)は、ルーマニア正教の総本山となっているわけだ。

ルーマニア正教の総本山 ブカレスト大聖堂の入り口から奥を見る(ルーマニア) 敬虔な信者たちが祈りを捧げている大聖堂の内部では、もちろんカメラの使用は禁止されている。

右の画像は、大聖堂の外から扉の内側に向かってシャッターを切ったもの。もちろん、フラッシュは使っていないから、信者の人々の祈りを邪魔しなかったと思うんだけど...。




ブカレストの守護聖人 聖ディミトリウスの祭壇
(ルーマニア)

ルーマニア正教の総本山 ブカレスト大聖堂にある聖ディミトリウスの祭壇(ルーマニア) 右の画像は、ブカレスト大聖堂の中にある、聖ディミトリウスの祭壇だ。聖ディミトリウスは、ルーマニアの首都ブカレストの守護聖人なんだって。

もちろん、カメラ使用禁止の大聖堂内で私が撮影したものじゃない。大聖堂の入り口の脇にあった売店で買ったパンフレットの中の写真なんだけどね。

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