東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「カンパーニャとローマ・ヴァティカン」(イタリア)

第四部 ローマ・ヴァティカン編

D34. ピントリッキオのフレスコ画「キリスト降誕」

サンタ・マリア・デル・ポポロ教会の右側廊を歩く

ようやくサンタ・マリア・デル・ポポロ教会に入ったんだけど、この中には見所がいくつもある。

イタリアの首都ローマのサンタ・マリア・デル・ポポロ教会の右側廊

まずは右側廊(上の画像)から順番に見て歩くことにするかな。

ピントリッキオのフレスコ画「キリスト降誕」

このサンタ・マリア・デル・ポポロ教会の右側廊でまず見逃しちゃいけないのは、下の画像にあるピントリッキオ(正確にはピントリッキオとその弟子たち)が描いたフレスコ画「キリスト降誕」なんだそうな。

イタリアの首都ローマのサンタ・マリア・デル・ポポロ教会のローヴェレ家の礼拝堂で見たピントリッキオのフレスコ画「キリスト降誕」

ルネサンス期イタリアで活躍した画家ピントリッキオがこのローマのサンタ・マリア・デル・ポポロ教会で制作をしたのは、西暦1484年から1492年にかけてのことだったそうな。上の画像にあるフレスコ画「キリスト降誕」もその頃の作品なんだろうね。

その後のピントリッキオはローマ教皇アレクサンデル6世の命を受け、ボルジアの間(今はヴァティカン美術館・博物館の一部)で制作したらしい。ちなみに、後にヴァティカンで制作をしたラファエロは、ピントリッキオの孫弟子にあたるんだそうな。

デッラ・ローヴェレ家の礼拝堂

ところで、上の画像に見たピントリッキオのフレスコ画「キリスト降誕」なんだけど、サンタ・マリア・デル・ポポロ教会の一角にあるデッラ・ローヴェレ家の礼拝堂にある。ピントリッキオに制作を依頼したのも、同家出身の枢機卿だったそうな。

ついでながら、このデッラ・ローヴェレ家から出た人物といえば、まずはローマ教皇シクストゥス4世だね。ヴァティカン宮殿の中のシスティーナ礼拝堂を建てさせた人物だね。

続いては、ローマ教皇ユリウス2世もデッラ・ローヴェレ家の出身だった。彼は西暦1506年から始まった今のサン・ピエトロ大聖堂の建設を命じた人物なんだそうな。また、システィーナ礼拝堂に天井画を描くようにとミケランジェロに命じたのも、このユリウス2世だった。

チボー家の礼拝堂

サンタ・マリア・デル・ポポロ教会の右側廊で、デッラ・ローヴェレ家の礼拝堂の隣にあるのはチボー家の礼拝堂(下の画像)だった。

イタリアの首都ローマのサンタ・マリア・デル・ポポロ教会にあるチボー家の礼拝堂

ピントリッキオはこのチボー家の礼拝堂でもフレスコ画を描いたらしい。でも、後に同家の礼拝堂が改築された際にピントリッキオのフレスコ画は取り壊されてしまったんだそうな。もったいないことだね。

ちなみに、このチボー家から出たローマ教皇インノケンティウス8世グイッチャルディーニによって「無用の人物」とされた)は、シクストゥス4世の次に教皇となっている。サン・ピエトロ大聖堂にある教皇たちのお墓の中にインノケンティウス8世のものもあったね。

さて、サンタ・マリア・デル・ポポロ教会の右側廊を、更に奥へと進んで行こう。そこでもイタリアのバロック美術の巨匠ベルニーニの作品を見ることが出来るんだ。


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