サン・ピエトロ大聖堂で見た聖ペテロ像サン・ピエトロ大聖堂の中を歩き、ミケランジェロのピエタを見た。ベルニーニのブロンズのバルダッキーノ(天蓋)や聖ペテロの司教座も見た。でも、ここにはまだまだ多くの見るべきものがあるね。特にこのヴァティカンのサン・ピエトロ大聖堂に来てご挨拶を欠かしちゃいけないのが、下の画像にある聖ペテロ(サン・ピエトロ)像だよね。何と言っても、ローマ・カトリック教会の基礎を築いた人物でもあり、この大聖堂の名の由来となった人物でもあるんだからね。
このサン・ピエトロ大聖堂で見る聖ペテロ像なんだけど、伝統的にはアルノルフォ・ディ・カンビオ(13世紀から14世紀にかけてのフィレンツェの彫刻家であり、フィレンツェの大聖堂の設計を手がけた人物)が制作したものとされてきたらしい。でも、最近では4世紀頃のシリアの無名の彫刻家の手によるものと考えられているんだそうな。
ついでながら、20世紀前半に地下墓所で発見されたとされる聖ペテロの遺骨を納めた聖遺物箱が、西暦2013年11月にローマのヴァティカンで公開されたそうな。但し、それが聖ペテロの遺骨であることに否定的な学者もいるみたいだけどね。
聖アンデレ像ミケランジェロのクーポラ(円屋根)の下、ベルニーニのバルダッキーノ(天蓋)の周囲にある柱の脇にある像の一つが下の画像にある聖アンデレ像なんだ。17世紀にローマで活躍したブリュッセル(今のベルギーの首都)出身の彫刻家フランソワ・デュケノワの作品なんだそうな。
ところで、この聖アンデレは聖ペテロの弟だった。黒海沿岸で布教活動を行い、ギリシャ、ルーマニア、ロシアなどの守護聖人とされている。上の画像にも見えるけど、聖アンデレは斜めの十字架で処刑されているんだ。故に聖アンデレを守護聖人とするイギリス北部のスコットランドは斜め十字を国旗としているわけだ。ちなみに、有名なスコットランドのゴルフ場の名前も聖アンデレ(セント・アンドリュー)だけどね。
新古典主義の彫刻家カノーヴァによるローマ教皇クレメンス13世像イタリア・バロックの巨匠とされたベルニーニの名声はその死後に急落したと書いたけれども、バロックの凋落と入れ代わりに台頭したのが新古典主義だった。その新古典主義時代のイタリア彫刻を代表するのがアントニオ・カノーヴァ。下の画像はカノーヴァの手によるローマ教皇クレメンス13世の像なんだ。
この新古典主義の彫刻家カノーヴァのペルセウス像は、ヴァティカン美術館・博物館のピオ・クレメンティーノ美術館の中の八角形の中庭で古代彫刻の傑作(ラオコーン、ヘルメス像、アポロン像など)と並べて展示されているほどのものなんだ。
ポッライウォーロによるローマ教皇インノケンティウス8世の墓続いては、15世紀後半のイタリア・ルネサンスの画家・彫刻家アントニオ・デル・ポッライウォーロによるローマ教皇インノケンティウス8世のお墓が下の画像だ。
彫刻家の方は著名なんだそうな。私は良く知らないけど。他方でローマ教皇インノケンティウス8世については、ルネサンス時代のイタリアの歴史家グィッチャルディーニ(「イタリア史」の著者)によれば「無用の人物」とばっさりだとか。世界のカトリックの総本山であるヴァティカンのサン・ピエトロ大聖堂にお墓を作ってもらうのも何だかね ・・・ 。
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