パリのモンマルトルへ向かう今日は朝から列車でシャルトルまで行き、シャルトル・ブルーのステンド・グラスで名高いシャルトル大聖堂を見てきた。そのシャルトルから列車でパリに戻り、地下鉄ピラミッド駅近くの店でさらさらっとお昼を食べる。アパルトマンの部屋に荷物を置いて身軽になり、再び地下鉄に乗り込み、電車を降りたのはモンマルトルの近くにあるアンヴェール駅だった。
その地下鉄アンヴェール駅のあたりの様子が上の画像だ。上の画像の中央に見える小道を登っていけばモンマルトルの丘に行くみたい。でも、かなりの混み具合だぞ。
モンマルトルは殉教者の丘ところで、今から行こうとしているパリの観光名所モンマルトルなんだけど、「モン(丘)」「マルトル(殉教者)」ということで、つまりは「殉教者の丘」ということらしい。フランス(当時はガリアと呼ばれていた)が古代ローマ帝国に支配されていた3世紀のことなんだけど、ディオニシウス(フランスではサン・ドニあるいは聖ドニと呼ばれる)という人物がパリ(当時はルテティア)でキリスト教の布教をしていた。 ところが、当時の古代ローマ帝国はキリスト教を禁止していた。イタリアのローマでは皇帝ネロはキリスト教徒を迫害していたし、古代ローマ帝国が進出していたイギリスでも聖アルバンが殉教している。今ではヨーロッパ各地で尊崇されているセント・ジョージ(聖ジョージ)だって処刑された。 そんなわけで、パリでキリスト教の布教をしていたサン・ドニ(聖ドニ)もただでは済まなかった。捕えられたサン・ドニ(聖ドニ)はこのモンマルトルの丘で斬首刑に処せられたんだそうな。そんなわけで、ここは「殉教者の丘」となったわけだ。 他方、斬首されたサン・ドニ(聖ドニ)なんだけど、自分の首を拾い上げ、歩いていった先がパリ郊外のサン・ドニの地。そこに築かれたのが、今のサン・ドニ大聖堂なんだ。ちなみに、殉教者サン・ドニ(聖ドニ)はフランス王国の守護聖人とされている。
見上げればモンマルトルの丘の上のサクレ・クール寺院そんなモンマルトルなんだけど、地下鉄アンヴェール駅の近くの路地の坂道を登り、その狭い道を抜け出せば、丘の上に白亜のサクレ・クール寺院が見えた。その様子が下の画像だ。
西暦1871年に普仏戦争においてプロシアに敗れたフランス。フランス皇帝ナポレオン3世が捕われて新しい共和制が発足した後の西暦1877年に、サクレ・クール寺院の建設工事が始まったらしい。そしてパリを見下ろすモンマルトルの丘の上にサクレ・クール寺院が完成したのが西暦1919年のことだった。
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