|
|
|
|
|
東西南北 春夏秋冬
ヨーロッパの旅
旅行記 「バルセロナ街歩き (スペイン)」
カタルーニャの歴史とガウディ
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
バルセロナとカタルーニャ地方の略年表
h01. イスラムの侵入まで
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
- 紀元前12-10世紀、フェニキア人がイベリア半島に進出していた。
- 紀元前9-7世紀、北から移り住んできたケルト系の人々が、先住のイベロ族と混血し、ケルト・イベロ族を形成した。
- 紀元前6世紀前半、フランス南部プロヴァンス地方のマルセイユまで進出していたギリシャ人がカタルーニャ北部に植民都市エンポリオンを築いた。
- 紀元前3世紀、カルタゴの政治家・将軍であるハミルカル・バルカ(あのハンニバルの父)が、現在のバルセロナの地を征服し、植民都市を建設した。
新しい街は、「バルキーノ」(バルカ一族の街)と名づけられ、その名前が現在のバルセロナの語源となったとも言われている。
但し、伝説では、バルセロナを築いたのはヘラクレスだということになっている。
- 紀元前201年、第二次ポエニ戦争でカルタゴを打ち破った古代ローマ帝国がイベリア半島に進出した。ローマを中心とするイタリアから、古代ローマ帝国の兵士や市民達がイベリア半島にやって来た。
- 紀元前133年、イベリア半島の街ライエが古代ローマ帝国によって征服され、コロニア・ファヴェンテア・フリア・アウグスタ・パテルナ・バルシノと名づけられた。その街がやがて現在のバルセロナになる。
当時の市街地は、現在のモンジュイックの丘に有ったらしい。古代ローマ人は、その丘の上にジュピターの神殿を築いた。丘は「ジュピターの丘」と呼ばれ、その名がやがて「モンジュイック」と変化したとの説がある。
- 紀元前後、古代ローマ帝国皇帝アウグストゥスの時代に現在のバルセロナの旧市街ゴシック地区の開発が行われた。
- 西暦1-2世紀、古代ローマ帝国支配下のイベリア半島が黄金時代を謳歌した。イベリア半島では、鉱山が開発され、治水が行われ、道路が建設された。セゴビアの水道橋(フランス南部プロヴァンス地方のポン・デュ・ガールと比べれば規模は小さい)などもこの頃に建設されている。
- 西暦3-4世紀、古代ローマ帝国の街バルセロナの人口は約 5千人に達していた。
- 4世紀初頭、当時のバルセロナ(現在のゴシック地区を中心とする)を囲む市壁が完成した。バルセロナの大聖堂などの壁には、古代ローマ帝国時代の市壁の遺構などが残っている。
カタルーニャとバルセロナ(スペイン)の略年表
|
|
|
|
|
ヨーロッパの歴史風景
このサイト「ヨーロッパ三昧」には、下の姉妹サイトもあります。ヨーロッパに興味のある方は寄り道してくださいね。
|
このサイト「ヨーロッパ三昧」の姉妹サイト「ヨーロッパの歴史風景」。ヨーロッパ各国の歴史に重点を置いてある。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
Copyright (c) 2002-2012 Tadaaki Kikuyama
All rights reserved
このサイトの画像 及び 文章などの複写・転用はご遠慮ください。
このサイトの運営は、あちこち三昧株式会社が行います。
|