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	ヨーロッパの旅 
 
 
	
	旅行記 「バルセロナ街歩き (スペイン)」
	
	カタルーニャの歴史とガウディ
 
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	バルセロナとカタルーニャ地方の略年表
 h07. 自治の為の戦い
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1923年、スペインにおける産業の発展と共に深刻化した階級対立や治安の悪化などに対処することを期待され、プリモ・デ・リベラ将軍の軍事独裁政権が成立した。
 プリモ・デ・リベラ独裁政権は、カタルーニャ語の公的な使用やカタルーニャの民俗芸能さえも禁止した。
 
 
1925年、スペインに帰還するセファラディーダのための市民権法が制定された。
 
1926年、バルセロナのシンボル聖家族教会(サグラダ・ファミリア)の建設を続けていたガウディが、交差点を横断している時に路面電車にはねられ死去。
 
 
 
1929年、世界恐慌の影響を受け、プリモ・デ・リベラ独裁政権が崩壊した。
 
1930年、バルセロナの人口が 100万人を突破した。
 
1931年、スペイン第二共和制が成立した。
 カタルーニャでは自治政府が成立し、カタルーニャの文化・経済の繁栄が回復するかに見えた。
 
 
1934年、カタルーニャ自治政府の首相が、スペイン連邦内での独立カタルーニャを宣言した。
 
1936年、選挙における左派の勝利に対し、フランコ将軍たちを指導者とする軍部の反乱が勃発し、スペイン全土に内戦が広がった。
 戦火の影響により、バルセロナにおける聖家族教会(サグラダ・ファミリア)の建設工事も中断された。また、ガウディが残した設計図を焼失してしまった。
 
 当初は不利な状況にあった反乱軍は、ドイツ・イタリアなどのファシスト勢力からの「義勇軍」や「技術援助」を受け、次第に勢力を拡大していった。
 
 
 
 
1937年、フランコ独裁政権側に立っていたドイツ・イタリアなどの「義勇軍」の爆撃機が、スペイン北部の街ゲルニカを空爆し、多くの人々が犠牲になった。その惨劇を知ったピカソが、あの大作「ゲルニカ」を描いた。
 
1939年1月26日、共和国政府側に立っていたバルセロナが陥落した。約40万人の人々がフランスに逃れた。
 同年、フランコ将軍を中心とする勢力が全土を制圧し、スペイン内戦が終息。スペイン内戦で勝利を得たフランコ総統の独裁政治が始まった。他方、共和国政府を支持していたカタルーニャは厳しい弾圧を受け、カタルーニャ語での出版も禁止された。
 
 同年、第二次世界大戦が勃発。フランコ統治下のスペインは、ドイツやイタリアと近い関係にあったが、大戦には参加しなかった。
 
 
1952年、バルセロナのシンボルでもある聖家族教会(サグラダ・ファミリア)の建設工事が再開された。1936年のスペイン内戦勃発以来、工事は中断されたままになっていた。
 
1963年、ピカソが少年時代を過ごしたバルセロナ(スペイン)にピカソ美術館がオープンした。このピカソ美術館では、ピカソの少年時代・無名時代の作品や、ピカソ自身が寄贈した作品が展示されている。
 
1975年、独裁者フランコ死去。フアン・カルロス1世がスペイン国王に即位。以後、スペインで民主化が進み始めた。
 
 
 
1976年、新しく制定されたスペイン憲法により、カタルーニャなどの自治州において、独自の言語を自治州の公用語とすることが認められた。
 
1979年、カタルーニャ自治州の成立が国民投票によって確認された。
 
1981年、ピカソの大作「ゲルニカ」がスペインに返還された。
 スペイン内戦時代の惨劇を描いたこの大作は、スペインに民衆のための共和国が成立するまでという条件で、ピカソ自身の手によってニューヨークの近代美術館に寄託されていた。
 
 
1992年、バルセロナ・オリンピックが開催された。その会場では、英語・フランス語と並んでカタルーニャ語での案内板だけが設けられ、スペイン語(カスティーリャ語)の案内板は無かったらしい。
 
2010年、カタルーニャにおいて闘牛禁止法が成立。但し、その法律による闘牛の禁止は2012年から効力を生じた。(スペインの他の地方では闘牛は続いている。テレビでの生中継などは無くなったらしいけどね。)
 
2012年、スペインが財政危機に陥った。同様に財政危機に陥ったカタルーニャ自治州は中央政府に対して課税権限の移転を要求。しかし、中央政府は拒否。対してカタルーニャ自治州においては、独立を求める動きが活発化しつつあるらしい。
 
2014年、カタルーニャ自治州が独立を問う住民投票を行い、8割が独立に投票した。しかし、スペイン憲法裁判所の判断により、この投票は非公式なものとなっていた。自治政府は引き続き中央政府と交渉し、独立をめぐる正式な住民投票の実施を目指すらしい。
 
 カタルーニャとバルセロナ(スペイン)の略年表
 
 
 
 
 
 
 
 
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