東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅コーンウォール と デヴォン
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アーサー王と妖姫モルガン
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グラストンベリーのトールがアヴァロンの島 ??傷ついたアーサー王が渡ったとされるアヴァロンの島が何処にあるかに関して昔から議論が続いているんだけど、グラストンベリーのトール(下の画像)がアヴァロンの島だと信じている人々もいるね。例えば12世紀の人ジェラルド・オブ・ウェールズは、グラストンベリーは古来よりリンゴの島、つまり「アヴァロン」と呼ばれていたと記している。ちなみに、ウェールズ語では、リンゴを指す言葉は「アファル」あるいは「アヴァル」と言うんだって。 上の画像に見えるように、高さ約 150m の丘の上に石の塔を載せたトール。その正体も科学的に解明されているわけではないらしい。この丘が人工的に築かれたものだということは確実みたいだけど。 一部の学者は、トールはエジプトのピラミッドのようなものだと説いている。確かにサッカラに残る階段ピラミッドに似ている気もする。 別の学者達の中には、トールは数千年前の地母神信仰に関係があるという者もいる。また、3世紀頃のケルトの聖職者ドルイド僧がトールの丘で祭祀を行ったと説く学者もいる。 いずれにせよ、興味深いのは、トールの丘には 5-6 世紀頃の軍事施設の形跡が残されているんだそうだ。つまり、仮にアーサー王が実在していたならば、ケルト系ブリトン族を率いてアングロ・サクソン族と戦っていた頃だね。 エクセター付近の略図を開いてもらえばわかるけど、このグラストンベリーの街はエクセターの北東の内陸部に位置している。じゃあ、何故にグラストンベリーのトールが島だといえるのか ?? トールがアヴァロン島だと説く人々の答えはこうだ。かつてグラストンベリーは湿地帯だった。そして、トールの丘は、湿地帯の中の「島」だった。 このグラストンベリーのトールに関しては、もう一つ興味深い話が伝わっている。アーサー王の円卓の騎士達が見つけた聖杯(キリストが最後の晩餐で使った杯)は、このトールに埋められたんだって。その聖杯は、アリマタヤのヨセフによってイングランドに持ち込まれたという話もあるんだ。 セント・マイケルズ・マウント = アヴァロン島 ??上のトール説に対抗しているのは、ランズ・エンドの近くで見たセント・マイケルズ・マウントがアヴァロン島だという説。セント・マイケルズ・マウントが紀元前 4世紀頃には、錫の輸出港になっていたというのは興味深いね。コーンウォールは昔から錫の産地だったから、当時の支配者にとって錫の輸出港は経済的に重要だったはずだよね。 仮にアーサー王がコーンウォールを支配していたとすれば、彼にとってもこのセント・マイケルズ・マウントは経済的に重要な意味を持っていたかもしれないよね。となれば、そこに緊急事態のための避難場所を用意しておいても不思議ではない ... 。 アーサー王の謎は深まるばかりこの旅行記を書くために本棚から引っ張り出した本は、日本語・英語あわせて20冊を越えている。だけど、資料を調べれば調べるほどアーサー王を包み込む霧は深くなる。本によって書いてあることが全く違っているんだ。ある本はアーサー王の実在を完全に否定している。別の本はアーサー王は実在の人物だとして書いている。 ひどいものになると、アーサー王も王妃グィネヴィアもコーンウォールの出身だと言い切っている。いったいどんな根拠に基づいて、そう断言しているんだ ?? いずれにせよ、私たちはロンドンに戻らなきゃいけない。また明日からは仕事だからね。 旅を続ける貴方に今回の私たちの旅はここで終わりだけど、このグラストンベリーから更に旅を続ける方には、下に書いた場所がお薦めですよ。
アーサー王とコーンウォール・デヴォンの歴史最後になったけど、歴史に関しても、いつもの様にたっぷりと調べてあるんだ。テーマは「アーサー王とコーンウォール・デヴォンの歴史」。興味のある方は、歴史のページにも寄り道して行って下さいね。
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