東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

コーンウォール と デヴォン
(イギリス、1995年8月)


13. グラストンベリーのトール(あるいは、トーア)
傷ついたアーサー王がたどりついたアヴァロンの島 ??

グラストンベリー修道院にはアーサー王の墓があったと信じられていたこととは矛盾するみたいだけど、アーサー王は死んではいないとする伝説も残されている。

例えば、1113年のことらしいんだけど、コーンウォールを訪れていたフランスの僧たちが地元の人々と口論をした話が残っている。そのきっかけは、地元の人々がアーサー王は生きていると言い張ったことだった。

同様に同じくケルト系ブリトン人の後裔であるウェールズ人たちも、アーサー王の再来を信じていたみたい。ケルト系ブリトン人にとっては、アーサー王は民族の救世主となっていたわけだ。

アーサー王と妖姫モルガン

  • 息子モルドレッドとの戦いに傷ついたアーサー王が運び込まれた小舟に乗っていた貴婦人の一人は、妖姫モルガンだった。

    アーサー王の母イグレーヌとティンタジェルの領主ゴルロイスとの間に生まれた妖姫モルガンは、アーサー王の異父姉だった。

  • 妖姫モルガンは、傷ついたアーサー王を自分の居城のあるアヴァロンの島へと運び込んだ。

    魔女でもある妖姫モルガンは、魔法を使ってアーサー王の傷を癒した。やがて時が来れば、アーサー王はブリテンに戻り、ケルト系ブリトン人を指揮して敵と戦うことになる。

アーサー王の墓は必要だった ??

妙な話なんだけど、アーサー王は死ななかったと信じられていたが故に、グラストンベリー修道院でアーサー王の墓が発掘されたという解釈もあるらしい。

12世紀末のことなんだけど、当時のイングランドを支配していたプランタジネット家リチャード獅子心王は、反抗的なケルト系の人々に手を焼いていた。

そこで、ケルト系の人々の希望の星であるアーサー王の復活の可能性を封じなければならなかった。そのためには、アーサー王の墓と遺骸が発見されることが、リチャード獅子心王にとって好都合だったというわけだ。

ついでながら、当時のグラストンベリー修道院が困窮していたという話もある。1184年に火災に見舞われた修道院は、再建のための資金を必要としていたからね。もちろん、アーサー王の墓が発掘された後、修道院には寄進が相次ぎ、イングランドでも有数の豊かな修道院になったらしいよ。

余談ながら、このグラストンベリー修道院では、1962年に考古学的な発掘調査が行われたんだって。その時、確かに深い穴を掘った形跡が見つかっているんだ。




グラストンベリーのトールがアヴァロンの島 ??

傷ついたアーサー王が渡ったとされるアヴァロンの島が何処にあるかに関して昔から議論が続いているんだけど、グラストンベリーのトール(下の画像)がアヴァロンの島だと信じている人々もいるね。

例えば12世紀の人ジェラルド・オブ・ウェールズは、グラストンベリーは古来よりリンゴの島、つまり「アヴァロン」と呼ばれていたと記している。ちなみに、ウェールズ語では、リンゴを指す言葉は「アファル」あるいは「アヴァル」と言うんだって。

傷ついたアーサー王がたどりついたアヴァロンの島だとも言われるトール(グラストンベリー)

上の画像に見えるように、高さ約 150m の丘の上に石の塔を載せたトール。その正体も科学的に解明されているわけではないらしい。この丘が人工的に築かれたものだということは確実みたいだけど。

一部の学者は、トールはエジプトピラミッドのようなものだと説いている。確かにサッカラに残る階段ピラミッドに似ている気もする。

別の学者達の中には、トールは数千年前の地母神信仰に関係があるという者もいる。また、3世紀頃のケルトの聖職者ドルイド僧がトールの丘で祭祀を行ったと説く学者もいる。

いずれにせよ、興味深いのは、トールの丘には 5-6 世紀頃の軍事施設の形跡が残されているんだそうだ。つまり、仮にアーサー王が実在していたならば、ケルト系ブリトン族を率いてアングロ・サクソン族と戦っていた頃だね。

エクセター付近の略図を開いてもらえばわかるけど、このグラストンベリーの街はエクセターの北東の内陸部に位置している。じゃあ、何故にグラストンベリーのトールが島だといえるのか ??

トールがアヴァロン島だと説く人々の答えはこうだ。かつてグラストンベリーは湿地帯だった。そして、トールの丘は、湿地帯の中の「島」だった。

このグラストンベリーのトールに関しては、もう一つ興味深い話が伝わっている。アーサー王の円卓の騎士達が見つけた聖杯(キリストが最後の晩餐で使った杯)は、このトールに埋められたんだって。その聖杯は、アリマタヤのヨセフによってイングランドに持ち込まれたという話もあるんだ。

セント・マイケルズ・マウント = アヴァロン島 ??

上のトール説に対抗しているのは、ランズ・エンドの近くで見たセント・マイケルズ・マウントがアヴァロン島だという説。

セント・マイケルズ・マウントが紀元前 4世紀頃には、錫の輸出港になっていたというのは興味深いね。コーンウォールは昔から錫の産地だったから、当時の支配者にとって錫の輸出港は経済的に重要だったはずだよね。

仮にアーサー王がコーンウォールを支配していたとすれば、彼にとってもこのセント・マイケルズ・マウントは経済的に重要な意味を持っていたかもしれないよね。となれば、そこに緊急事態のための避難場所を用意しておいても不思議ではない ... 。

アーサー王の謎は深まるばかり

この旅行記を書くために本棚から引っ張り出した本は、日本語・英語あわせて20冊を越えている。だけど、資料を調べれば調べるほどアーサー王を包み込む霧は深くなる。

本によって書いてあることが全く違っているんだ。ある本はアーサー王の実在を完全に否定している。別の本はアーサー王は実在の人物だとして書いている。

ひどいものになると、アーサー王も王妃グィネヴィアもコーンウォールの出身だと言い切っている。いったいどんな根拠に基づいて、そう断言しているんだ ??

いずれにせよ、私たちはロンドンに戻らなきゃいけない。また明日からは仕事だからね。

旅を続ける貴方に

今回の私たちの旅はここで終わりだけど、このグラストンベリーから更に旅を続ける方には、下に書いた場所がお薦めですよ。

ストーンヘンジ ティンタジェル城」の下にある「マーリンの洞窟」で拾ったアーサー王を育て上げたと言われる魔法使いマーリンが、アイルランドから移築したという伝説が残っている。
バース イングランド南西部の観光地。古代ローマ時代のお風呂や出土品の博物館がある。
カッスルクーム
(コッツウォルズ)
イングランドの美しい田舎として知られるコッツウォルズの村の一つ。

アーサー王とコーンウォール・デヴォンの歴史

最後になったけど、歴史に関しても、いつもの様にたっぷりと調べてあるんだ。テーマは「アーサー王とコーンウォール・デヴォンの歴史」。興味のある方は、歴史のページにも寄り道して行って下さいね。


【参考】ホテル検索


旅のインデックス(国名順)へ行く

前のページに戻る
「コーンウォールとデヴォン(イギリス)」の旅程表
「ヨーロッパ・ミソラン・ガイド」へ行く
このサイトのトップ・ページへ行く

関連書籍

参考になる・・・かもしれない本を探してみました。(本の題名をクリックすれば詳細が表示されます。)




姉妹サイト 「イタリア三昧+マルタ」



イタリアとマルタに興味のある方は、姉妹サイト「イタリア三昧+マルタ」をチェックしてみてくださいね。ローマフィレンツェナポリピサアマルフィなどイタリア各地、マルタ島とゴゾ島の入門編聖ヨハネ騎士団にゆかりのマルタを尋ねた旅行記を集めました。


姉妹サイト 「ヨーロッパの歴史風景」



ヨーロッパに興味のある方は、この「ヨーロッパ三昧」の姉妹サイトである「ヨーロッパの歴史風景」(先史・古代編中世編近世編近代・現代編)にも行ってみてくださいね。


Copyright (c) 2001 Tadaaki Kikuyama
All rights reserved
このサイトの画像 及び 文章などの複写・転用はご遠慮ください。